2013-05-14 第183回国会 参議院 予算委員会 第17号
常に神社神道と国家との結び付きが議論の対象になってきました。そうであると、この憲法の新しい改正案というのは国家神道との結び付き、これを是認する方向になるのかという疑念、これは正直生じると私は思います。 それで、私も、先ほど申し上げたように、心ならずも戦地に赴いて家族やふるさとを思いながら異国で倒れた方々、戦没者の方々への追悼する気持ち、これは大切にしています。
常に神社神道と国家との結び付きが議論の対象になってきました。そうであると、この憲法の新しい改正案というのは国家神道との結び付き、これを是認する方向になるのかという疑念、これは正直生じると私は思います。 それで、私も、先ほど申し上げたように、心ならずも戦地に赴いて家族やふるさとを思いながら異国で倒れた方々、戦没者の方々への追悼する気持ち、これは大切にしています。
ちょっと最後になりますから、これも同じようなことなので、一応質問の予定に入れていましたので改めて確認をいたしますけれども、日本で、例えば仏教の美術とか、あるいは伝統のそういった工芸、あるいは文化、踊りから始まってさまざまな、そういったことについて、基本的には仏教あるいは神社神道とか、そういったものと結びついているものが非常に多いわけですけれども、当然、大学であれば、それは研究ということであって、全く
ただし、今の例で言えば神社神道ですか、神道の教えで私はこう思っているから、君も私の意見に従った方がいいよとかそういうことはだめだということなんですよ。
生徒の方から、末松先生は宗教的には何教を信じているんですかという問いがなされたときに、さっきの例でいくと、私は神社神道ですと言う。そして、それに対して、神社神道はどういうものですか、先生はどうお考えになっていますかと言ったら、それに対して私の信ずることをしゃべる。これも当然いいわけですよね。
ですから、今官房長官がおっしゃったのは、神社神道の中で独特の性格を持った靖国神社であるということ、そして、戦死者の魂というか霊というか、それを慰めるために行くんだと。これは強い信仰告白なんですよ、私に言わせれば。非常に性格がはっきりした靖国神社なわけです。いいとか悪いとかというのは信じる人の判断でいいんです。これは、総理がマスコミを引き連れて靖国神社に出て行って、全国民が見ているわけです。
それから、私、外交官として、アラビストと言われるんですか、あの地域で活動するには、やはりイスラム教とユダヤ教とそれからキリスト教、これを勉強していかないと話にならないということで、それについて多大な勉強をさせていただき、そして日本に帰ってきて、仏教、神社神道、儒教というところまで自分なりに研究をしてきたわけでございます。
例えば、これは神社神道の話をしていますけれども、神道とは何なんだと、そういうことを教科書に盛っていく。あるいはキリスト教というのは一体何なんだろうと、そういうことを盛っていくという、私はそういったことが重要になってくると思っているんです。そう言うと、すぐに、じゃ、それは特定宗教じゃないかと言う。そこに大臣の言われるデリケートさがあるわけなんですけれども。
というのは、今まで日本では神社神道系、というか、神社というものを中心にやってきて、それなりの、人間と自然、人間と神との関係をずっととらえてきたわけなんですが、新しい生き方ということで例示されているのが、キリスト教というのと仏教というのが出てきていて、「たとえばキリスト教は神の愛にならって隣人愛に生きることを教え、仏教は煩悩を断ち切って心安らかに生きる道を教えた。」
具体的に言いますと、神社神道、とりわけ靖国神社と軍国主義が結び付いた、戦争で死んだならば神様になって靖国神社に祭られる、そういう思想の下で戦死者を拡大再生産していった、そういう反省がこの憲法二十条で詳細な政教分離の規定を置いている原因ではないのかなと、こんなふうに思っています。
あちらはキリスト教がある、こちらは万世一系の天皇、そしてそれを、皇室祭祀であるとか神社神道であるとか、そういうものを再編して国家神道体制をつくった。これは時代的なものはもちろんあるとは思いますけれども、むしろこれは一神教的なものに近くなっている。
国家神道や神社神道は内務省の神社局の所管であり、宗派神道は文部省の宗教局の所管でございました。しかし、国家権力が神道に及び過ぎていた、その弊害はあったと思います。
私は、占領軍は神道の抹殺を考えたんだろうと思うんでございますけれども、結果的には、神道が宗教としての届け出をすることによって、全部、国家神道、神社神道が宗教の方に追い込まれる、憲法の規定でそれの活動を抑えていくというふうな方針をとったんだな、こう思っているわけでございまして、私は、教育基本法につきましては速やかに改正をする、もう敗戦から五十数年たっているわけでございますから、ぜひ宗教情操というものが
○末松委員 安倍副長官は、この国立追悼施設に反対する会に名前を連ねたり、あるいは神社神道の政治連盟の事務局長もやられていますけれども、これについて個人的な御意見を、述べたくないというのであればそれで結構ですが、個人的な御意見があれば言ってください。
そういう意味では、我が国にも最近まで先ほどの公認神社神道がありましたから、それはある意味では国民教育の機能を事実担っていたわけでありまして、そういうボーダーライン・ケースはごく最近まであった。もちろんヨーロッパでは苦いっぱいありました。これからもあり得ると私は思います。
神社神道を除く宗教団体に対する統制法、一言で言えばそういうことだと思いますが、そういう内容である。ここには、団体の規制ということから、財産目録、それからその宗教の教師ですね、この氏名、住所などを提出をする、あるいは団体のさまざまな情報を開示をさせて、そして安寧秩序を妨げ、臣民の義務に背く宗教活動に対しては解散命令などの制裁規定を設けていた。
まず、当時、神社神道は、諸神を祭祀するため国家みずからが設営した国家の宗祀ということになっておりました。そんなことで、宗教ではないということで考えられていたわけでございます。したがって、お話ございましたように、神社への参詣、神宮大麻を受けるといったことは愛国心のあらわれであるというふうに考えられておりまして、義務教育課程では神道教育が行われたものというふうに理解をいたしております。
まず、宗教法人法が制定された経緯でございますが、戦前は神社神道が事実上の国教とされまして、神社神道のみが国から特権を受け、そして他の宗教を弾圧し、信教の自由を侵害した、こういう不幸な歴史がありました。宗教法人法は、こうした歴史の反省に基づいてつくられたものであります。 宗教法人法は昭和二十六年四月三日に公布、施行されておりますが、その前身は昭和二十年の宗教法人令として施行されております。
ただ、じゃそれは仏教であるか神道であるかとかというような大きな分け方というものでどれになるかといえば、広い意味では神道という部類に属するかもしれませんが、これはいわゆる神社神道というようなものと皇室が行っておられる祭祀のあり方というものは全く同じではないということは申し上げておかなければいけないと思います。
そういう意味で、皇室における祭祀というものはいわゆる神社神道と全く同じではないということを申し上げておるわけでございます。
それと、皇室で行ういろいろの神事と神社神道との違いをぜひ明らかにしていただきたいと思うのですね。宗教とは関係がないのだと言うのなら、皇室が行ういわゆる神事、祭事と神社神道とはどういうふうに違いがあるのか、ないのか。
確かにお着になるものやらそれをお助けする周りの人たちの服装やらやり方やら音楽やらそういうものがあるとすれば、そういうものが今の神社神道で行われている儀式に似ていたり、あるいは同じものをお使いになったり、そういうことが形の上ではあるかもしれませんけれども、宗教という一つの内容からいえば、これが宗教になるのかなという気がしてならないのですけれども、その辺が私の宗教観と違うのかなという気がいたします。
僕は、神道神道と言うから神社神道のような――さっき長官も宮尾さんもおっしゃっていたように、広く言えばキリスト教、仏教、神道という形式を踏まえているから、宗教上の儀式を否定するわけにはいかないというような妙な言い回しの格好になるわけですけれども、神社神道と皇室神道という言葉があるかどうかわかりませんが、それは私は一緒にはできないと思う。
○中村(巖)委員 気持ちがどうあれ、靖国神社が神道というか神社神道、そういう宗教であることは間違いないわけですから、それをそういう気持ちがなかったからとおっしゃったって、それは気持ちがどういう気持ちであろうと、やはりよくないことではないかと私は思うわけであります。 そのことはともかくとして、このことについて外国からどういう反応があったかということを御承知でしょうか。
おはらいをすることにどこに教えがあるのか、どこに教団があるのかという問題が起こってきますと、そのこと自体はそうではありませんが、それがうちに帰りまして神社神道という団体に入りますとその神社神道が宗教になるんです。それが行っておる一つの行為そのものは宗教とは言えない。宗教で行うところの一つの行為だというだけにすぎないわけでありまして、そういう点を明確にいたしませんと国葬ができないことになります。
神社神道というのは、靖国問題に見られるように、天皇を最高の祭司としておる。この皇室神道の宗教的な行為に、先ほども出ましたけれども、これはもっと加わる、百億を超すような巨額な支出をしてこれを国が行うというのは、これは神社神道にはかり知れない援助になることは明らかです。だから、効果という点から見ても津の地鎮祭判決に違反するのではないですか、どうですか。この二点。
談話を出しましたが、あの考えは変わってないと前から申し上げているとおりであり、戦争でともかく国のために殉じられた皆さん方を心から追悼する、全国民、相当の国民がこれを要望しておられる、そういう要望もよくかみしめて、念頭に置いて、そして、そういう戦没者の追悼の中心施設が靖国神社である、そういうことから中心施設である靖国神社で追悼し、平和をまた誓う、そういうことで、そして今までと違うやり方で、いわゆる神社神道